大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所岡山支部 平成元年(行コ)1号 判決

控訴人 水川美子

右訴訟代理人弁護士 石田正也

達野克己

被控訴人 地方公務員災害補償基金岡山県支部長 長野士郎

右訴訟代理人弁護士 甲元恒也

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が控訴人に対し昭和五九年一〇月九日付でした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、当審におけるものを次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであり、証拠の関係は、本件記録中の第一、二審書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

1  本件ソフトボール競技は、日頃デスクワークに従事し、運動もほとんどしなかった泰造にとって急激な肉体運動であり、ことに六回裏の運動量は、かなりの負担であったことは明らかであって、急性心筋梗塞を発症させるに十分な過重負荷というべきである。また、泰造の担当職務は、その死亡前一週間に厚生省の監査があり、同人には特に精神的疲労も蓄積していた。

2  泰造は、生前血圧が若干高かったが、異常といえるほどのものではなく本件の急性心筋梗塞の要因となったとは考えられない。そして、同人に他の要因があったものでもないが、仮に何らかの要因があったとしても、本件ソフトボール競技による過重負荷と右発症との相当因果関係を否定するものではない。

(控訴人の主張に対する被控訴人の答弁及び主張)

1 控訴人の主張1は争う。すなわち、ソフトボール競技は、体にかかる負担が日常的なものであり、娯楽等の目的に適したスポーツとして老若男女を問わず幅広く普及しているのであって、これに参加したことをもって異常な負荷を被ったとはいえない。また、泰造は、本件事故前三か月間において時間外勤務は皆無であり、出張時間もさして多くはなく、死亡前一週間の執務状況も、所定時間内、ほぼ通常の業務に従事していたのであって、質的及び量的にも過重な業務とはいえない。

2 同2の主張は争う。公務上の疾病と言い得るためには、公務の遂行が当該発症に何らかの影響があったというだけでなく、医学上の経験則に照らして、公務の遂行が相対的に有力な原因として作用し、基礎疾病等を急激に増悪させ、当該発症の時期を著しく早めた等、自然的経過を超えるものが認められることが必要である。ところで、心筋梗塞は、何らの誘因なくしても発症し、心身の負担が少いと考えられる平静時でも高率に発症することが統計上示されている。このことに、右1で述べたソフトボール競技の性質、泰造の執務状況を併せると、本件の発症は、たまたま公務従事中に生じたものというべきであり、本件ソフトボール競技への参加及び日常業務の影響が相対的に有力な原因となって本件発症を招いたとはいえない。すなわち、公務と疾病との間に相当因果関係は認められない。

理由

一  原判決摘示請求原因1、3の事実は当事者間に争いがない。

二  泰造の死亡に至るまでの経過についての当裁判所の判断は、原判決理由説示の二(原判決六枚目裏六行目冒頭から一一枚目表二行目末尾まで)と同一であるから、これを引用する。

三  泰造の死亡が公務上のものといえるか否かについて

1  本件ソフトボール競技が公務として行われたものであることは当事者間に争いがない。

2  そこで、泰造の死亡が右公務に起因するものといえるかについて判断する。

(一)  地方公務員災害補償法(以下「補償法」という。)に定める「公務上の死亡」とは、公務と死亡との間に相当因果関係が認められるもの、すなわち、経験則に照らし、当該公務に従事したことが相対的に有力な原因として作用し死の結果を生じさせたことをいうものと解すべきである。そして、成立に争いのない甲第四〇号証によれば、この点につき、労働省の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(昭和六二年一〇月二六日、基発第六二〇号)は、その要件として、(1) 発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇し、或いは、日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことにより、明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること、(2) 過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることを挙げ、右「過重負荷」とは、発症の基礎となる病態をその自然的経過を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいい、「異常な出来事」とは、(イ) 極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な事態、(ロ) 緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な事態、(ハ) 急激で著しい作業環境の変化、と定義していることが認められる。

(二)  ところで、公務と死亡との間の相当因果関係の立証については、一点の疑義も許さない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして、公務と死亡の間に高度の蓋然性があることを証明することが必要であり、かつ、それをもって十分であると解すべきである。

右の見地に立って前記認定の事実関係に基づいて以下検討する。

《証拠省略》を総合すれば、急性心筋梗塞の発症機序は、冠動脈に動脈硬化などの病変を有する者(但し、既存の症状の認められない例もある。)につき、(1) 病変のある冠動脈の酸素供給能力以上に酸素を必要とするような状況が続いた場合、(2) 心筋への酸素供給が冠動脈塞栓(血栓による閉塞)や冠動脈のスパスム(動脈内腔の機能的狭窄)などで減少した場合に、心筋の虚血、次いで壊死が生ずるものであること、その発症時の症状は、激しい胸痛、胸部絞扼感等が特徴的であり、発症後一時間以内が最も死亡の危険性の高い時期であること、発症前に胸痛(絞扼感、灼熱感、圧迫感)、冷汗、呼吸困難などの前駆症状が相当割合で出現すること、心筋梗塞発症の誘因としては、過激な労働、睡眠不足、感情的興奮、寒冷、飲酒等が、同発症直前の行為としては、就眠中、労働中、食事中または食後、会議中または面談中、歩行中(以上、いずれも頻度順)が報告されていることが認められる。

ところで、泰造の本件発症前における生活保護ケースワーカーとしての勤務は、勤務時間及び業務内容等に照らして、本件発症の原因となった過重負荷があったというには十分でない。

そして、ソフトボール競技は、老若男女に広く親しまれたスポーツであることは被控訴人指摘のとおりであるが、しかし、泰造は、死亡当日、平日の勤務終了後、休息等することなく引き続いて本件ソフトボール競技に参加したのであり、日頃、スポーツにさほど親しんでいなかった同人にとって、準備運動をすることもなく、約一時間のソフトボール競技に捕手として参加し、その終了近くの六回裏に、自ら内野安打で一塁に出塁し、次打者の二塁ゴロで二塁に進み、次々打者の三塁ゴロを三塁手が一塁へ悪送球する間に二塁から本塁へ一気に生還したことは、肉体的に相当の負荷であり、精神的にも緊張を要したものであって、これらの負荷は、急性心筋梗塞発症の要因となり得るものであったこと、右負荷から発症、死亡までの経過も、医学上、右負荷を発症原因として十分説明し得るものであったこと、泰造は死亡当時満三五歳で、職場における定期健康診断の結果によると、昭和五五年以降高血圧であったことから動脈硬化があったのではないかという疑いがあるが、仮に動脈硬化であったとしてもそれは軽度のものであって、外見上は健康体であったことなどに照らして、泰造の本件ソフトボール競技への参加と急性心筋梗塞による死亡との間に高度の蓋然性があり、仮に泰造に当時動脈硬化があったとしても、それは軽度のものであり、本件ソフトボール競技に参加したことが主力となって、それらが共同して急性心筋梗塞による死亡に至らせたものであると認めるのが相当である。もっとも、《証拠省略》によると、岡山大学医学部教授寺本滋は、泰造の病理解剖はされておらず、その心筋梗塞の発症部位や動脈硬化等既存の病変の有無は明らかでなく、また、心筋梗塞発症の機序には医学上なお不明の点が多いことなどからして、泰造について公務上の死亡とすることができないものと判定していることが認められるが、それは、訴訟上の相当因果関係の立証についての見解の相違によるものと解されるから、それを採用しない。他に右判断を覆すに足りる証拠はない。

そして、前記労働省通達の見地からしても、泰造の本件ソフトボール競技への参加行為は、右にいう「異常な出来事」もしくは「過重負荷」に該当するものというべきである。

したがって、泰造の死亡は公務に起因するものであり、補償法所定の公務上の死亡にあたるものである。

四  以上のとおりであるから、泰造の死亡を公務外の災害と認定した本件処分は違法であり、取り消されるべきものである。

五  よって、原判決は不当であるから、これを取り消して本件処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高山健三 裁判官 相良甲子彦 廣田聰)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例